父の好きな映画のひとつに『クラッシュ』がある。
父のおすすめに外れはないのだが、シリアスそうな内容に食指が動かず、なかなか観る気分になれなかった。
けれど昨日、どういうわけか「今観たい!」という衝動に駆られ、その感情に身を任せることにした。最近は仕事が忙しく、"映画"にじっくり浸る時間がなかった。その反動もあってか、バカ騒ぎするような映画ではなく、思考が必要な映画が観たかったのだと思う。
こういうとき、心の状態と選ぶ映画の種類は密な関係があると感じる。ぜひ、心理学者に研究してほしいと思う。
映画『クラッシュ』はポール・ハギスが監督/脚本を務めたアカデミー賞受賞作品だ。人種差別をテーマにしており、ロサンゼルスに蔓延る日常的な差別を映し出す。同時に人間の脆さや尊さも丁寧に描いており、多面的な視点を与えてくれる。
"黒人だから"という理由で差別をしてきた白人に、自分の命を救われたり。
差別的な同僚にうんざりしていたはずの警官が、自らも誤って黒人青年を撃ってしまったり。
実際には差別をされていないのに、"白人だから見下してくるに違いない"と過敏に捉えてしまったり。
やっぱりシリアスで、重たくて、ぐるぐると考えてしまうような映画だった。
「外見だけでひとを判断してはならない。行動の裏には、必ずその人なりの事情がある。」そんなメッセージを私はこの映画から受け取った。
白人と黒人、アジア人とメキシコ人、男性と女性。この世にはカテゴライズできる要素がありすぎる。「差別はやめましょう」「差別がない世界にしましょう」と小学生の頃から指導されるが、正直無理なのではないかと思っている。もちろん迫害のような暴力的な差別はあってはならないが、小さい差別はきっと無意識下で自分たちも行ってしまっていると思う。
私の職場にはフランス人がいる。国際的な職場ではないため、初めての外国人採用だった。
そのフランス人は、驚くほど仕事をしない。注意をしても、仕事を頼んでも、しないのだ。私たちはそれを「フランスの文化のせいだ」と捉えた。そう思わないと、こちらの気持ちが割り切れないのだ。
「フランス人だから、仕方ないわ」と。でもこれも差別に近いと思っていて。きっと本人に伝えたら傷つくだろうし、カテゴライズして主語を大きくするのは、悪気がなくても誰かを孤立させてしまう力を持っている。
今日本は移民問題を抱えている。明らかに増えている外国人に対して、宗教や治安面から反対をする日本人は多い。「日本が乗っ取られる」なんて刺激的な言葉がSNSで流れる今、誰もが危機感を覚えるだろう。
私の町にもどこの国の人かはわからないけれど、年々外国人が増えていて、近所のドン・キホーテにはもはや日本人がいない。外見も違えば、話す言語も違い、率直に「怖い」と思った。自分と違うとか知らないことに直面すると、脊髄反射で「怖い」という感情に行きつくのだ、人間は。それが人によっては"差別"に姿を変えるのは、もう仕方がないことにも思える。
カテゴライズできる要素がある以上差別はなくならなくて。そう理解した上でどう接するかが大事に思う。こればっかりは、種類をわけた神が悪い。
結論、宇宙人が地球を侵略してくる日が来れば、私たちは地球人として一致団結するだろう。その日までは、人間臭く悩みながら歩み寄る努力をするしかない。
こんなにたくさんのことを考えさせられる映画に出会えて、父のおすすめに狂いはないと、再認識するのであった。