形而下生活

映画を栄養素として生きています

懐かしさで細胞は若返ります。

細胞の若返りがあるらしい。
これは医学的にどうちゃらという話ではなく、気持ちの話なのだが、
懐かしい景色や文化に触れると、若かった頃を思い出して元気になるというのだ。
プラシーボ効果のような話だが、本当であった。

おばあちゃんとおじいちゃんと一緒に「塩谷定好写真記念館」へ行ってきた。
明治生まれの芸術写真家の家が昭和仕様でそのまま残っていて、今は写真館になっている。

立派な中庭や倉、螺鈿の床脇、いくつもある床の間に
私は正直に「お金持ちの家だな」とそれ以上の感情は湧いてこなかった。
が、祖父母は違った。火鉢やタンスに触れながら目を輝かせ、「懐かしい」と何度も口にした。いつもは私の後ろを歩く二人が、この日は先頭を切ってずんずんと屋敷を回り、挙句の果てに屋敷を二周していた。

今はないけれど、あった文化。
量産化が主流の今の時代に、螺鈿細工や凝った欄間がある家のほうが少ない。
祖父母が生きた80年の間に、生活様式はがらりと変わってしまったようだ。
当たり前だった景色が、今や珍しいものになり、その記憶が二人を元気にしたのだ。昔話に花が咲き、出会った馴れ初めなんかも教えてくれた。

ふと、20代の私が老いたとき懐かしさで細胞が活性化するのは何だろうと思った。
思いついたのは、回転しない寿司『スシロー』だった。

回転寿司も年々進化していると感じていたが、ついに回らなくなってしまった。
小さい頃は回るお寿司を取りたくて、レーンに近い席を妹と取り合った。
でもいつからか「新鮮なほうがいい」とタッチパネル注文ばかりになり、レーンから寿司をとらなくなった。きっと大勢が同じ思考になったのだろう。コロナという状況も後押ししたのかもしれない。
新しくなったスシローは回転レーンすらなく、直線レーンと巨大パネルが鎮座している。くら寿司のように食べた分に応じたミニゲーム機能までついて、ゲームセンターのような明るさだ。

寂しいという気持ちはない。
自分だってレーンからお寿司を取らなくなったから、合理的だと思った。
でも、他の店も同じ形にーー直線寿司に変わっていったらどうだろうか。いつの間にか淘汰されて無くなっていく文化のひとつになる可能性は十分にある。

そうやって畳が、和式トイレが、障子が、なくなっていったのだろう。
自分がおばあちゃんになったとき、昔の回転寿司なんてあったら物凄く興奮しそうだ。家族で食べに行った日、みんなの好きなお寿司のネタの記憶がぶわあって思い出して、懐かしさに溺れるのだろう。

そんなことを言って、回転寿司は案外生き残っているかもしれないけれど。